知財風塵録

経営者、産学連携コーディネーター・URA、発明者(研究者・開発者)が知っておきたい知的財産と特許の世界

切り餅事件(特許)から学ぶこと(6):裁判所の判断について

 このような知財高裁の判断は、真実を言いあてたものであったのか、と気にされるかたも多いかと思います。

 また、B社について、不正な企みを暴かれてしまったのか、それとも、正当な振る舞いをしているのに、それが認められなかったのか、と気にされるかたも多いかと思います。

 確かに気になるところなのですが、しかし、このような観点は、訴訟事件から自分に役立つ何かを学ぶ際の評価としては、あまり適切ではありません。

 真実がどこにあったかは、当事者にしかわかりませんし、裁判所は、手続きにしたがって、当事者の主張と証拠から、ある判断を行ったに過ぎません。
 主張立証の巧拙や、たまたまそうであったに過ぎない事情による外観も、その結果に影響します。

 前回のブログ記事で、「つまり、・・・と知財高裁は言いたいのですね。」といった表現でご説明していますが、これは決して、「つまり、真実を見抜いているはずの知財高裁がこのような意図で言おうとしているのですから、これがほぼ真実であることは皆さんおわかりになりますよね。」などという意味を込めたご説明ではありません。裁判所は判断にあたってあるストーリーを選び取り、選び取ったストーリーに沿うように意図して論理を組み立てていくのですが、提示されている材料がストーリーの中でどのように位置することを意図しているかについて、私が推測を込めてご説明したにすぎません。裁判所は、裁判所として言ってはならない・言う必要がない、と思われることは、当然ながら言外に表現するにとどめますから、私のご説明は、これをあえて明示的に表現した邪推である、というわけです。もちろん、この邪推の内容について、それが真実を言いあてたものであるかどうかなど、当事者以外には知りようがありません。

 真実が何であったか、ということよりも、むしろ、どのような事情やどのような提示が、どのように裁判所の判断に結びついていったのか、を追ってゆく観点が、もし、自分たちが同様の状況となったときに、あるいは同様の状況となることを予防するために、役に立ちます。これが、切り餅事件から学ぶこと、であるというわけです。

 切り餅事件ではいろいろな訴訟や審判がなされていますが、一連の事件を決定づける大きな判断が、平成23年9月7日に言い渡された中間判決です。上記の知財高裁の判断はこの中間判決によるものです。この中間判決とは、あまり頻繁にはなされないのですが、最終的な判決に先立って、中間段階で行われる判決で、中間判決をしてしまえば、そこまでの内容は後から覆すことができません。

 B社にしてみれば、原告と被告で争いがある内容については、さらに時間をかけて主張立証を尽くしたいところであったはずですが、突然に中間判決で確定されてしまうとは不本意である、と感じたことでしょう。

 B社はそもそもどうすればよかったのでしょうか。